同志社女子中学校・高等学校同志社女子中学校・高等学校

創立者新島襄と同志社

創立者新島襄の精神は、
今なお受け継がれ続ける。

新島襄は「大学の完成には200年を要する」と述べました。この言葉は、同志社の創立と発展に懸けた志の大きさを物語っています。自由と良心にあふれるキリスト教主義私立大学の創設にその生涯を費やした新島襄の精神は、同志社大学、同志社女子大学のほか、4つの中高一貫校、小学校、幼稚園を含む一大総合学園となった今もなお受け継がれ、教職員、支援者の一人ひとりが「同志」として、「一国の良心とも言うべき人物」の育成に取り組んでいます。

新島襄と同志社設立の経緯

国禁を犯して脱国、
アメリカで得た教育の原点

新島襄は1843(天保14)年、江戸の安中藩邸に誕生しました。武士の子として文武両道に励む一方で、西欧に学ぶ必要性を強く感じ、1864(元治元)年、鎖国令を犯してアメリカに脱国。フィリップスアカデミー、続いてアーモスト大学で学び、日本人初の理学士の学位を取得。アンドーヴァー神学校在学中には、岩倉使節団の通訳としてヨーロッパ諸国に渡り教育事情を視察しました。 欧米の優れた文明や学問の背景にキリスト教主義が息づいていることに気づいた新島は、日本にとって必要なのは、技術や知識だけではなくキリスト教の精神であると考えるようになりました。この間に学んだ「良心」と「自由」という考え方が、後の学校づくりを支えていくことになります。

同志社英学校創立と、
一人ひとりを尊重する教育

帰国した新島は1875(明治8)年に同志社英学校を設立。学生はわずか8名でした。新島の願いは「良心を手腕に運用する人物の養成」。信念と独立心をもち、安易に人に左右されない学生を、型にはめずに大きく育てようと考えたのです。1890(明治23)年、新島は46歳でその生涯を終えましたが、一人ひとりの人格を尊重する教育方針は、今もなお貫かれています。

創立者新島 襄(1843-1890)

校章・スクールカラー

同志社の徽章は、国あるいは土を意味するアッシリア文字を図案化したもので、智育・徳育・体育の調和を表現しています。同志社神学校教授であった湯浅半月が考案し、1893年に制定されました。
スクール・カラーは紫(ロイヤル・パープル)と白の2色。同志社創立者の新島襄が学んだ米国アーモスト大学のスクール・カラーに由来します。

沿革

1875年 新島襄、同志社英学校を開設
1876年 スタークウェザー、新島八重が京都御苑内デイヴィス宅(旧柳原邸)にて女子塾を始める(同志社における女子教育の始まり)
1877年 女学校を開設、同志社分校女紅場として設置認可を受ける
同志社女学校と改称
1878年 現校地(旧二条邸跡)に新校舎が竣工し、移転
1932年 栄光館竣工
1947年 同志社女子中学校開設
1948年 同志社女子高等学校開設
1972年 新生館竣工
1993年 現静和館竣工
2016年 現希望館竣工