自由を楽しめ!
京都発のキリスト教主義女子教育、起点からリベラルだった。
新島襄が同志社英学校を創立したのは、今から140年以上も昔の1875年のこと。この開学当初から新島は女子教育の必要性を強く感じており、並行して「女子塾」開設を進めることとなります。欧米ではキリスト教と教育が深く関わっていることを確信した新島襄。日本が近代化をはかるためには、富国強兵ではなく、教育によって人の心を変えることが大切だと強い信念を持っていました。そして、自由な心を持ち、見識と愛情をもった女性が育っていないことに日本の深刻な問題があるとし、女性の権利拡大と女子教育の充実に努めます。明治初期、まだまだ男尊女卑の教えが根強くはびこる時代。新島襄の女子教育に向けた歩みは革新的なものでした。彼は情熱と信念のままに1876年、京都御所内のデイヴィス邸に「女子塾」を開校します。この時、スタークウェザーら米国人女性宣教師とともに教鞭を執っていたのが新島襄の妻・八重。こうして、京都の地で、同志社の女子教育が幕を開けました。当初から、欧米のリベラルな教育観を取り入れた女学校であったことはいうまでもありません。
世の中の改良社となれる女性育成を目指して。
1877年、女子塾は「同志社分校女紅場」への名称変更を経て、「同志社女学校」と改称。校長となった新島襄は、同志社英学校と同じく「良心を手腕に運用する人物の養成」を教育理念に制定。それは、同志社女子部がキリスト教主義教育を根幹とし、新島の教育理念を色濃く反映した女子教育、つまり同志社の精神をそのまま継承した女子教育であることを意味します。1878年には、校舎を現今出川キャンパスのある上京第十一区今出川通に移転。日本の女子教育の問題を見据えながら、世の中の改良者として活躍できる女性の育成にひたむきに取り組みました。他者への優しさとともに、自分の想いや意見をはっきりと伝えられるたくましさ。そして奉仕の精神とともに、意志ある行動力。同志社女子は、女性の魅力を、女性としての誇りを最大限に高められる最適な環境と学びの機会を模索・創出しながら、着実に歴史と伝統、そして革新を積み重ねていくこととなります。
これからも、さらに良質な女子教育を追求する。
そして2016年、同志社女子部は創立140周年を迎えることとなります。新島襄の精神は今なお脈々と受け継がれ、一人ひとりの個性を尊重し、学力養成だけでなくキリスト教に基づく全人教育が日々実践されています。長い長い歴史の中で、これまでに数えきれないほどの卒業生を世に輩出してきましたが、彼女たちは、それぞれの分野において「地の塩」「世の光」として人のために、社会のために、活躍しています。新島襄はある手紙の中で、八重のことを「ハンサム・レディー」と形容しています。この言葉には、「生き方が美しい人こそが美しい」という意味が込められています。そのように生き方がハンサムな女性へと導くことができるように、これからも同志社女子中学校・高等学校では、良心教育の実践を継承します。どんなに時代が変わっても、志は変わらない。教育理念に基づきながら、さらに良質な女子教育の在り方を模索しながら、これからも私たちは生徒とともに、走り続けます。